嫌になる。

仕事でミスをした日は、

徹底的に自分が嫌になる。

 

まず、なぜこんなミスをしたのだ。と嫌になる

あのとき確認しておけばこんなことにならなかったのに…と戻せない時間のことを考えてしまう自分が嫌になる。

いや、そんなこと考えている間に次同じミスせぇへんように対策たてろや!ともう一人の自分が言う。 そんな風に偉そうに言ってくる自分も嫌になる。

 

そして、そのミスをカバーしてくれた人に対して すいません、以後ないようにします。としか言えない自分が情けなくて嫌になる。

いや、いいよ大丈夫やで!と言ってもらうための誘い水として謝る自分が嫌になる。

しっかりしろよ!と言われたら、それはそれで

そんなに言わんでも…と思ってしまう自分を想像して嫌になる。

 

そしてお昼休憩になって、

割とちゃんと弁当を食べる自分が嫌になる。

極力身体を小さく丸めて、あいつ昼飯だけは元気に食べるんやなと思われないようにしている

もはや自意識過剰な自分が嫌になる。

お弁当に入っていた鯖が、電子レンジでチンしたせいで割と匂いがフロアに漂って、しっかりとチンし過ぎた自分が嫌になる。

ミスした分際で本を割としっかりと読む自分が嫌になる。

 

あげればキリがない自分の嫌なところを

こうやってブログに書く自分が嫌になる。

 

 

 

 

②ミスしたのに昼ご飯はちゃんと食べる

 

酢豚とエーデルワイス

 

とある日の給食で、

私は酢豚を配膳する係りだった。

友達が薄緑色のトレイに乗せている

白いお皿に一人あたりの数を考えながら、

銀色のトングで、豚とピーマンを乗せていった。

 

あれ?どんどん少なくなってきた?

並んでる人数分いけるかな?

と思っていたけど、案の定最初に並んだ人と最後の人と

量に差が出てしまった。

 

席について、いただきますをして少しすると

私のことをイジめていた女の子が

嬉しそうに先生に

「なんか今日みんなの酢豚の量がぜんぜん違う~!」

といっているのが聞こえた。

それをきっかけに私の席だけ、傾いていくような、いきなりシーソーに乗っているような気持ちになった。

 

先生は、なんて言うのかなと思って聞き耳を立てていると

 

『今日の給食当番さんは当番さん失格だね』

 

そう聞こえてきたときのことが、

未だに忘れられない。

小学校3年生のときの私からすると、

生まれて初めて人から

『失格』という言葉を使われたのが、衝撃的だった。

 

窓側で他のクラスメイトと一緒に食べていた先生を見ると

こちらを少しも見ることなく、

他の子たちと給食を食べていた。

 

先生の『失格』という言葉が、

自分の頭の中を旋回する。

それはまるで回遊魚のようだった。

なんとかそいつを釣り上げてやろうと

他のことを考えた。手近に思いついたのは

5時間目の音楽の授業という餌だった。

 

エーデルワイスのリコーダーのテストがある。

 

昨日、家で吹くだけじゃなくて、ドレミでも言えるように

何度も復習をした。ミーソレードーソ…あれ?

ドーソの次は、なんやったっけ?

何度も頭の中で考えるけれど、

答えが出てこない。

釣り上げた回遊魚の胃袋の中にもしかしたらあるのかもしれないな、と思った。

 

そして私は、

誰よりも早く給食を食べて、手洗い場で

普段より丁寧に手を洗った。

でも、そんなことでは失格という回遊魚が私に残していった鱗はとれなかった。

ただ、安い固形石鹸特有の匂いと水がその場で流れているだけだった。

 

音楽のテストは散々だった。

 

昨日あれだけ覚えた指の動き方や、音階が出てこない。

一番最初の♪ミーソレードソ♪を繰り返しては

リコーダーを口から離す。

音楽の先生があきれたように、今日テストって言ったよね?

と私に言った。

喉元まで今朝は吹けたんです。と出かかった。

でも何も言えなかった。

吹けない人間の言い訳そのもだったからだ。

 

何もいえない私はただ俯いて、床を見ていた。

床のタイルの黒い隙間が、失格という回遊魚の目玉かもしれないと考えながら

私に怒る音楽の先生をやり過ごしていた。

 

あれから何年も経ったある日、

地元からは少し離れた街のスーパーでその先生を見かけた。

白髪が増えて、少し先生は太っていた。

 

先生、実はあの日の給食で

自分の分の酢豚は餡と、

ピーマンだけだったんです。

失格なりにやってたんですよ。

 

と心の中で語りかけた。

ふと惣菜コーナーに寄ると、

酢豚があった。ピーマンや豚や玉ねぎなど

たくさんの具が、ちゃんと入っていた。