思い出タイムトライアル

先週の木曜日から、入院している。

症状もだいぶ落ち着いて、

熱も平熱、頭痛もだいぶ収まってきたけど

検査の結果が思わしくないので、

まだ入院している。

 

最近、祖父のことをよく思い出す。

父方の祖父は、飲食店を営んでいたのだが

私の兄や、その他の親戚の男の子達に

料理を振る舞うことがなかったが、

初の女の子の孫として誕生した私には

料理を振る舞うどころか、私の好きなものだけで構成されたメニューを作ってくれた。

 

祖父は、共働きの両親に代わって

幼稚園まで迎えにきてくれた。

私は、両親が来るより祖父が来る方が楽しみだった。なぜなら、出前で使用するカブで祖父は私のことを迎えに来るからだ。

 

「お父さんに言ったらあかんで、おじいちゃん殺されてしまうからな」

 

と笑って言いながら、私のヘルメットの顎紐をしめていた。私は祖父の股の間に座り、エンジンがかかる音がすると、それはそれは目を輝かせていたらしい。 未だに覚えている、幼稚園の下り坂を祖父とくだったこと、夏の暑い時には、溶けかけたチューペットを私にくれた。冬には寒いだろうと、自分の上着を私にかけてくれた。春になって、私が見つけた花の種類を祖父に聞いても「なんやろなあ、あれ ようわからんけど綺麗やなあ」と答えてくれたこと。 

 

祖父は優しかった。

2人でデパートの屋上の遊園地に出かけて、私が勝手にエレベーターに乗り、迷子になった時も怒らずにいた。

祖父の部屋の目覚まし時計を朝5時に黙ってセットし、次の日の夕方私が部屋を覗くと

「昨日びっくりしたでぇ!」と笑って目覚まし時計を見せてきた。

一度だけ、リモコンの数字を油性ペンで塗りつぶした時は、さすがのおじいちゃんでもブチキレていた。そりゃそうだ。

 

そんな祖父も、私が小学校高学年から中学を卒業するまで、よく入院をするようになった。

糖尿病が悪化したとか、腸閉塞になったとか

そんなことだったと思う。

 

私の中学が、祖父の病院と近かった為

学校帰りによく祖父の病室に寄った。

特に何を話すでもなく、私はベッドの横の椅子に座って、祖父の足元に頭を置いて眠っていた。お見舞いでもなんでもなく、学校終わりに祖父の病室で寝ているだけだった。

 

高校になると、祖父とあまり話す機会がなく

一度、面と向かって話しかけた時に

「あんた誰?」と言われ

「え、孫の顔忘れたん?!」と大声で言ってしまった。

これが、私と祖父の最後の会話になった。

 

その時、片方の目はほとんど見えず

もう片方の目も白内障の末期だったと祖父が亡くなってから母に聞いた。

 

いま、入院している病院は

かつて祖父が入院していた病院で。

もしかしたら、その頃はまだ目が見えていて

私と似たような景色を見ていたのかなと思うと

祖父を思い出さずにはいられない。