すれ違う、23時

久々の友人にあった。それも4人も一気に。

高校の時のライブで知り合って、気があって、年齢も、住んでいるとろもバラバラなメンバーが、昨日6年ぶり?ぐらいに再会しても

誰もなにも変わっていなかった。

恥ずかしい程に。

会えば笑いが絶えないし、くだらないことでダラダラと話は尽きないし。

強いて変わったことといえば、みんな社会人になり、ファミレスやカラオケじゃなくて

居酒屋で飲むようになったことぐらいだ。

 

6年のブランクを感じさせないのは、

きっと感性が一緒なのと、照れ臭くて言えなかったけれど、みんなに久々に会えたことが私は純粋に嬉しかった。

大笑いして歩いている時に、一瞬だけ学生時代の自分が居た気がした。変わらないな、と苦笑いされた気さえした。残念だ。と思われたのかもしれない。

君の思うようなちゃんとした大人にはなれなかった上に、この年齢になっても「ちゃんと」とか「普通」とかそんな表現の形さえきちんと掴めていない。もはや掴む気さえない。

とりあえず体力の衰えと、いわゆる自分を表す年齢という数字だけは一人前に大人になってしまった。それでも、そんなに悪くない生活だ。

生きる事に上手い下手があるのなら、お世辞にも上手じゃないけれど、楽しくやってるよ。

なんて心の中で考えながら歩く東通り商店街の客引きのお兄さんの声や、ゲーセンから漏れ出てくる雑音は、妙に心地が良かった。

 

また飲みに行こう!今度は昼から集まってカラオケでも!と言ったその「また」が、今年中なのか、それとも2〜3年先なのかは分からない。

でも、そのいつということを決めずに「また」という表現が丁度いいメンバーなのだ。

 

またね、と誰かに言えることは何気ないけれどとても幸せなことだ。

そんなことを思いながら、HEPの赤い観覧車にも心の中で またね と呟いた。

もちろん返事をすることはなかったけれど、雄大なあの観覧車は、ゆっくりと回転する。

それを勝手に返事と受け取って、駅に向かった。